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石巻魂 (7/6)

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2011年06月10日

ビフォーアフター

お久しぶりです m(_ _)m

ちん婆です。
ビフォーアフター
(↑商店街の人に描いてもらったイメージ:似てますか? って、似てますねw )

最後の更新が4月12日ですから、

約2ヶ月になります(汗)

あ、

別にナイーブになっていた訳ではなく、

単に忙しかったのと、

ネット回線の引っ越しに時間がかかっているワケで…
(ネタが無いのと、モブログが面倒くさいのは内緒)

現時点でまだ自宅(現在の潜伏先)にネットが繋がっていないので、

↑の似顔絵を描いてくれた

ご近所の呉服店「かめ七」さん提供の、通称"ネットかめ"を利用させて頂き、

今回、久しぶりの更新が出来るようになりました。アザッス!
ビフォーアフター
(無料で店舗の二階をネットカフェとして解放しています♪)



無職になって早3ヶ月…

にしても、

震災前よりもやたらに忙しいのはナンデ?(爆)


いろいろと落ち着いて来たので、

"あの日"の「石巻」(ってか自分)を振り返り、

一つの節目をつけたいと思います。

ついでに写真で綴る"その後"の「石巻」も。


お時間ある方、ちと長いですが、

↓"続きを読む"からドゾッニコニコ







かろうじて、

人の住んでいる地域のがれき撤去は、滞り無く進んでいるように見えます。
↓ビフォー(直後)
ビフォーアフター
↓ビフォー(翌日)
ビフォーアフター

↓アフター
ビフォーアフター



↓ビフォー
ビフォーアフター 
↓アフター
ビフォーアフター
(大王:ターワンは移転しましたが、営業を再開しています!)


しかしその反面、

家屋自体がなくなってしまった地域では、

今もなお、

"あの時"の光景が広がったまま…
ビフォーアフター
(クリックするとちょっと大きくなります:北上川河口付近)


ビフォーアフター
(焼失した門脇小学校を望む)


油断していると、

フラッシュバックしてしまいそうな、そんな感覚に襲われてしまいます。




平成23年3月11日のあの日...

奇しくも、

この日は宇宙人2号の誕生日。

地震後、迎えにいった小学校で、

「なんで私の誕生日に地震が来るの!(怒)」

と、のたまう宇宙人2号に、

「つーか、絶対忘れない日になったじゃんよw」

などと冗談を飛ばしていた数十分後、

あんな津波が来るなんて…(マウスオーバーになってます)

画像


画像


画像


画像


画像
(S6店内:写真の下側、震災当日にwishさんから届いた"せんべい汁"が流されずに♪)




伊達直人と聞いて、

誰も菅直人を想像しないように、

大津波警報だと聞いても、

まさかこんな桁外れな津波が来るとは想像出来ませんよね?


完全にナメてました。

「チリ地震津波の時は、この辺りは足首ぐらいしか水が来なかったから大丈夫 v」
なんて、
なんら根拠の無い確信を持っていたがために、
亡くなったご老人も多かったようです。

かく言う私も、

「どうせいつもの数十センチでしょ?」
なんて、
なんら根拠の無いオオカミ少年だなとタカをくくって、
余裕をブッこいてました。

後で聞いた話ですが、

防災無線の最後の方では、

「高台に避難してください」

では無く、

「高いところに逃げろ!!」

だったそうです。


その頃、

私は宇宙人達を実家に預け、

知り合いのおばあさんの安否確認に出かけました。

帰り道、自宅まであと数百mのところで、

初めて津波襲来の事を知ります。

それでも私は、

「ちょと濡れれば行けそうなんだけどなぁ」と、

全く状況を理解していません。
(この時チラ見した津波は膝下ぐらいのものでしたが、
結果的に2mの津波が押し寄せて来て...)

結局、近所の人達から「逃げろ!逃げろ!」と絆されて高台に向かいます。

この時、

道路を横向きになった車が"サーッ"と流されていくのを遠目に見て、

初めて「ヤバい」と感じましたほどです。


程なくしてハニーからメールが届き、

宇宙人3号とS6の2階(自宅)に避難したと安否の確認が出来ました。

と、同時にあり得ない写メが…
ビフォーアフター
(S6の二階より)


おまけで動画もドーゾ↑
(音も無く水が流れ込んでくる様は不気味です)



あとは実家の様子が気にかかります。

今は自宅に行けないと判断して、

実家に向かいました。

瓦礫を乗り越え、

ビフォーアフター



人ん家の庭をなんとか通り抜けて飛び込んできたのがこの写真。
ビフォーアフター

ビフォーアフター

ビフォーアフター



水が一旦引いた後とはいえ、

ある意味、

もう少し早く着いていたらたどり着けなかったかも知れません。



実家は、

一階は車庫、二階が住まいになっています。

二階に上がる階段には血痕があり、

ヤバい…こりゃ誰か怪我したなと思いながら二階に上がると、

宇宙人達が服を着たまま風呂に入っていました。

「えっ!? お 前 ら 何 や っ て ん の ? ?」

その傍らでは私の母親がぐったりして...

怪我したのはママちゃん(母親の事)か?と、

宇宙人達に聞いても放心状態で会話になりません。


何があったんだ?


状況を聞こうと私の親父を探すと、居間でたき火を始めていました。


「な ん で 部 屋 ん 中 で 火 ぃ 焚 い て ん の ? ?」

「寒 み ぃ か ら だ よ…」

「だっ、かっ、らっ!、 な ん で 寒 ぃ ん だ よ ?」


二階に避難しているものばかりと思い込んでいた私には、

親父との話の内容が全く噛み合いません。


聞けば、

逃げようと、玄関を出たところで津波がやって来たそうです。

で、

"2階に逃げろ!"と、なる訳ですが、

その直前に母親は玄関のドアに鍵をかけてしまい、上手く開けれなくて…

そうこうしている内に水が車庫に入り込み、

その場にいた4人は車庫の中で流されたそうです。

「ママちゃんが流されないように掴んでくれて、
 ランドセルを背負ってなければ溺れていた」
 (ラフジャケットのように浮いてくれたの意)

1号は振り返ります。



話は理解しましたが、

もうすぐ夜が迫ってきます。

当然のようにライフラインは止まったままですから、

なんとかしなければ。


必要なのは明かりと暖のとれるもの。

部屋の中でたき火を続ける訳にもいくまいて…

さて、さて...

ん!?

ってか、俺ってキャンパーじゃん

私の灰色の脳細胞が記憶の扉を片っ端から開き、

階下の車庫に保管しているキャンプ道具の置き場所を思い出させました。

イグルーの後だったので、

冬装備をまとめて仕舞ってあるはず。

が…
ビフォーアフター



奇跡的にランタンとレインボー、

コールマンのシングルバーナー、

遠赤アタッチメントの回収に成功。

これでなんとか夜をやり過ごす事が出来そう…


なんて思っていると、

私の携帯の呼び出しが鳴ります。

電話が繋がりにくい状態なのに…誰? しかもこんな時に…

せのきんさんでした w


せ「大丈夫ですかぁ?」

私「大丈夫じゃないです怒


にしてもあの時の電話、

泣きそうになりつつも、勇気をもらいましたね。アリガト~ (>_<)v


さてさてその後、

健康マニアの親父のおかげで、

飲み水(体にいい温泉水だそうです)は十分備蓄していましたから、

その水をバーナーで沸かしてペットボトルに入れ、

湯たんぽ代わりにして母親を暖めます。

母は、

意識はありますが、

依然、もうろうとした状態が続いています。

しかし、母は強し。

「湯たんぽって無かったっけ?」

と親父と話をしていると、

寝ている母親が、

「どこそこの棚の上に仕舞ってあるから…」

と、うわ言を。(湯たんぽは言われた通りの場所にありました。スゲービックリ)

でも、やはりもうろうとしているのは変わらず、


母「寒いから電気毛布を持って来て…」

私「い、いや、かぁ~ちゃん、今、地震で電気止まってるからさ…(汗)」

母「どこどこの戸棚にお菓子があるから、子供達(孫)に食べさせなさい...」

私「そんな事、今、気にしてんんじゃねぇ〜よ(滝汗)」


そんな会話をしたのを覚えています。




"早い段階に病院へ連れて行った方がいい"


ですが、

この状況ではどこへも連れ出せません。


地元のラジオ局の自家発電が切れてから情報は何も入ってこなくなり、

キー局の放送ではなぜか石巻について触れていません...
(仙台若林区→東松島→女川→南三陸町…何で石巻飛ばしてんの!?)

その内に携帯も圏外になりました。
(基地局のバッテリーが底をついたそうです)


真夜中、

水が引いた頃合いを見計らい、

ハニーと3号を回収しに自宅に向かいました。

でも、

通りの向かいに行きたいのに、

瓦礫が邪魔をして通れず、

「この先には行けそうにない…(タッタッタッ)」なんて、

まるでバイオハザード(ゲームのね)の主人公にでもなった気分でしたし、

道で人に会う度に、
やれ、
「どっから来たの?」「どこまで行けますか?」
「どこどこには行けない」「あっちはは火災が酷くて…」
とか、
「そこから先は通れないケド、あっちを迂回すれば行けるよ」
「ってか、危ないからウロウロするなって!」

などと情報交換を繰り返すリアルなドラクエ状態。

途中で出会った消防団と思わしき一団に、

「ケガ人がいるんだけど、助けを呼べないか?(郊外にある日赤病院まで)」

と聞くと、

石巻を取り囲むように通じているJR仙石線と石巻線を境に、

「首まで水没して水が引いていない」
「救急や消防はおろか、誰も来れないし、誰も行けない」
「無線もやられて、我々もどうしていいのか分からない...」

「マジですか!?」

画像
(石巻駅前周辺:震災から三日後 マウスオーバーになってます)

ビフォーアフター
(同日:石巻市役所二階から)


歩けば5分のS6に、

30分かけてなんとかたどり着き、二人を無事にピックアップ。

その帰り道、

ふと空を見ると、

キャンプ場でも見た事の無い満点の星空が広がっていました。

あれは印象深かったですねぇ。

最高の夜空と最悪の汚泥瓦礫のギャップに萌ながらも、

あそこまで星が奇麗に見えるなんて思いもよりませんでしたし、

いかに我々が明るい場所に住んでいたのかを思い知らされた夜でした。



朝。

トイレに行きたいと言い出した母の体を起こすと、

部屋とトイレの気温変化で心肺停止状態に陥ります。

親父と私でうる覚えの心肺蘇生術を施して事なきを得ますが、

一刻も早く医者に見せなくてはいけない状態になりました。

とりあえず、

助けを呼ぼうと外に出てウロウロしていると、

近所(歩いて5分:通常)の病院に人影をハケーン!

中に入ろうとしましたが泥だらけの瓦礫が邪魔をして行く手を阻みます。

ビフォーアフター


病院ですらこの状態ですから、大きな期待は出来ませんが、

家にいるよりはよっぽどマシです。

なんとか侵入に成功し、

看護士さんを捕まえて状況を説明します。

看護士さん曰く、

「この状況なので最低限の治療しか出来ませんが、よろしいですか?」
(器具も薬もすべて流され、入院患者を避難させるだけで精一杯の状況だったようです)

「まずは自宅に伺いましょう」

と、言ってくれた看護士さんを連れ立って、

実家に向かうと、

あれれ?

近所の方や小学校の先生達がウチの母親を運び、

こちらに向かってくるではありませんか!

なんとタイムリー♪

いや、

そもそも連絡もしていないのに(既に携帯は使えなくなってますので)なんで?

私「なんで知ってんの?」

皆「なんで看護士さん連れてんの?」

互いに軽いパニック。

聞けば私が出かけた後に二度目の心肺停止状態になり、

向かいに住む方の情報で私が行った病院とは違う病院に運び込もうとしていたそうです。

そこへたまたま私が看護士さんを連れ立って現れたものですから、

互いに「なんで?」となった訳ですね。


その場で簡単なバイタルを測り、

歩いて5分(通常)の病院に連れて行く事になりました。

しかし、

足場は悪く、瓦礫が散乱している道筋を通らなければなりません。

それに、

担架なんてありませんから、

津波でどこからか流され来た"畳"を担架代わりにするしかありません。

いや、

今思えば他にも良い方法があったはずですが、

必死だったので思いつきませんでした。

その上その畳は、

水を大量に吸って重く"凍って"いるではありませんか(泣)


その冷たくて重い"担架"を使い、

沢山の人に手伝ってもらい、

やっとの思いで母を病院に運び、

院内の瓦礫をどかし、

朝日の差し込む病室に搬入する事が出来ました。


あの時の自然な流れでの連係プレーは忘れる事が出来ません。



病院では、

医師、看護士さんらが付きっきりで"最大限"の治療をしてもらい、

病状も安定し、まずは一安心。

家にいた時よりはだいぶ良くなったと思っていたんですが...


病院のスタッフの方々も、

外部や家族と連絡が取れない状況で、

にもかかわらず、入院患者や母の世話を粛々とこなし、

職務を全うしている姿には、今思い出しても頭が下がります。




結局、
母はあの泥水を大量に飲んでしまったのと、
低体温症からくる内蔵機能低下、腸閉塞を併発してその夜に亡くなりました。
怪我を負い、出血が止まらなかったのも良くかったのでしょう。
暖めれば出血が始まり、かといって暖めないワケにはいかず…

もっと何か出来る事があったのではないか?
あの時ああしていれば、とか、
もしも…とか。

やった後悔より、やらなかった後悔の方が大きい...
誰の言葉か失念しましたが、
ふとした時に思い出してしまいます。

唯一の救いは、
伴侶である親父に看取られながら、
うっすらと微笑んでみえる表情で旅立って逝った事でしょうか。


未だご遺体も見つからない方々も多くいる中、
私の母親、家族もそういった意味ではラッキーだったのかも知れません。



自衛隊が市街地に入ってきたのは、震災の日から4日後の朝でした。
朝日に照らされる自衛隊のイカツイ軽装甲車両を見つけた時、
嬉しさと安堵感で涙が出そうになったのは内緒ですよ
シーッ



こうして見ると、
今回の震災で生と死を分けたのは、ほんのチョットの差だったように思えます。
ラッキーとアンラッキーの狭間で、
皆それぞれに九死に一生のドラマがあり、
ともすれば、
母のようにチョットのタイミングで命を落とす事もあり得る訳です。


例えば、
" 家 族 全 員 を 失 っ た か も 知 れ な い "

正直、
それを想像すると今でも怖くなりますし、
ときに、サバイバーズギルドに苛まれる時もありました。
実際に、
それが現実のものとなってしまった友人もいます。





あれから3ヶ月。


生き残った者、
いや、
生かされた者が、
ここで立ち止まる訳には…いかないですよね?

それは、

「がんばれ」と言う意味ではありません。

むしろ、

「がんばるな」に近い意味です。



今は上手く言葉には出来ないんですが、

例えば、自転車って漕がないと倒れますよね?

でも、

バランスさえとっていれば、

スピードをそんなに出さなくても倒れないじゃないですか!

なんて言うか、そんな感じです(笑)



震災後、

被災地にはボランティアをはじめに様々な形での復興支援を頂いております。

個人的にも、

ブロガーの皆様、友人、S6アルバイターの面々、親類縁者の方々から、

たくさんのご支援とご声援を頂戴いたしました。

そんな中、

震災で失ったものも多々ありますが、

目には見えない形で得た事の多さにも気付かされます。


衰退の一途を辿っていた地元経済ですが、

ある意味において"強制リセット"された状態により、

新しい街づくりが展開されようとしていますし、

前向きな有志達が内外(海外からも!)から集まり、

復興支援の枠を超えた新しい石巻のビジョンも提示されつつあります。


想像しただけでワクワクする街並みに変化していくであろう石巻の様子には、

これから目を離せませんよ!
(もっとも、この情熱が数年で冷めない事を願うばかりですが…汗)

そんな訳で、

微力ですが石巻ウォッチャーとして情報を発信していこうかと。



私、個人的にも新たな人生の転機を迎えようとしています。

今までの生活が"強制リセット"されたお陰で、

震災前のただ漠然と、混沌と過ごしていた日常が劇的に変わり始めています。


先が見えない不安よりも、

先が見えないからこそワクワクする感覚...

言うなれば、「 希望があるという希望 」でしょうか。

ま、

この話は次の機会に(笑)




長くなりましたが、
ここまで読んで頂きありがとうございました m(_ _)m


今回の記事を書く事で、
自分の中で一区切りつく事が出来きた。と、思っています。


っと、
あらためまして、
『 ようこそ! ヘン○イと言う名のブログ、 new Wish FIELD へ』
(どさくさまぎれにタイトルを変えました。気付いてた?w )


次回の new Wish FIELD
「お前はこの3ヶ月間何をしてきたのか?」
の予定です。


お楽しみに♪
(一応キャンプ絡み…かなw)



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コメントはこちら 過去記事歓迎!
読み応えタップリでしたよ(TдT)

同じ無職の者として いま言える事は

文明は生活を便利にしただけで
生まれたときは誰もが裸ですからね( ̄ー ̄)bグッ!



よく遊び よく学べ  そして笑え

なんだかコメントになってませんねσ(^◇^;)
Posted by ゆかい at 2011年06月10日 11:46
一気に書いてきましたねぇ。
まずは、《大王》の再開おめでとう
…って、最初そこにコメントするバカ


忘れちゃいけないことですよ。
いやっ、地震の話ね。


もう1度読んでみてまたコメントします。
Posted by せのきん at 2011年06月10日 11:51
しばらくぶりです...。

この3ヶ月の間、いろいろなことをご経験されたのですね。

とてもたくましく振る舞って、そして行動してきたさまが目に浮びます。

本当に、本当にお疲れ様です。


またいつかどこかフィールドでお逢いできることを楽しみにしてます。^^
Posted by nao nao  at 2011年06月10日 12:39
ゆかいさん\(^o^)/

>読み応えタップリ〜
思うままに書き綴っていたら、
長くなっちゃって(汗)
携帯から見たら嫌になりますよねぇ

>生まれたときは誰もが裸〜
確かに、
どんな悪党でも、
生まれた時はそうなるなんて分かりませんからっ
あ、
例えが違うか!?(笑)

便利になって堕落的になるか、
巧く活用していくかは、
文明社会い生きるユーザー次第なんでしょうね

同時に電気が無くても、
生き抜くスキルを合わせ持たないとね

想像力で○けるようになるとか…(爆)
Posted by ちん婆 at 2011年06月10日 13:26
せのきんさん\(^o^)/

>まずは、《大王》の再開〜
私もそう思いますっ(祝)
以前、夜中にビリヤードした店の近くですよ♪
少し狭くなりましたが、さすがは大王、
行列がハンパないです(笑)

>もう1度読んでみてまたコメント〜
いやいや、
一度とはいわず、
何度も読んで下さい
せのきんさん所のカウントを抜けるように…(核爆)
Posted by ちん婆 at 2011年06月10日 13:35
仲間からの生の声と近況。。
負けちゃいない様子に少し安堵致しました。

朕婆さんの笑顔と、S6カウンターでのお鮨との再開楽しみにしていますね。
Posted by WindyJvWindyJv at 2011年06月10日 15:27
naoさん\(^o^)/

本当にお久しぶりです

naoさんと言えば、
ファーストエイドボックスの約束がありましたよね?

イグルーの前に見付けて仕舞って置いたんですけど、
見事、津波に流されました(泣)
忘れて下さいっ!(汗)

>とてもたくましく振る舞って〜
そう言う風に見せているだけかも知れませんよニヤリなんて、
あまり意識はしていませんケド(笑)…

>またいつかどこかフィールドで〜
私も、
楽しみにしていますよ
Posted by ちん婆 at 2011年06月10日 17:20
こんにちは^^

あれから3ヶ月。

報道よりも、分かりやすいビフォー・アフター。

そして、これからの「新石巻」

ちん婆さん視点からの石巻情報待ってます。

まだS6のカウンターに座った事の無い我が家・・・
何時までも待っていますから(^^)v
Posted by mamonobumamonobu at 2011年06月10日 17:30
WindyJvさん\(^o^)/

>負けちゃいない様子に〜
負けてはいませんが、
勝ってもいません(爆)
でも、
今後の勝算は十分にあるんですケドね

>朕婆さんの笑顔と、S6カウンターでのお鮨との再開〜
あと、陸前高田のモビリアと(笑)
再開したら、
また遊びにいらして下さいっ

ところで、
イグルーのDVD、如何でしたか?
次回開催の際は、リアル参加でお願いしますね
Posted by ちん婆 at 2011年06月10日 19:59
mamonobuさん\(^o^)/

>あれから3ヶ月〜
早いですねぇ(汗)
なんだか実感がないフワフワした気分が続いている感じです
だからでしょうか、油断大敵ですね

>報道よりも、分かりやすい〜
マクロな視点も大事ですが、
ミクロな視点での「新石巻」も楽しんで貰えれば…(笑)

>ちん婆さん視点からの〜ご期待下さいっ!
なんて、
実はそんなに時間がないんです。
詳しくは折りをみて記事にしますが、
それまでは出来る限り関わってみるつもりです

>まだS6のカウンターに座った事の無い〜
あっ、そうでしたねぇ( ̄▽ ̄;)
店はしばらく掛かりそうなので、
長ぁ〜い目で見守って下さいませ
Posted by ちん婆 at 2011年06月10日 20:22
お邪魔します。
お母様、御悔み申し上げます。
私の母も妻の母も石巻で震災に遭ったので、
私も直後より石巻には通ってました。
日赤に捜しに行った際、他に収容されそうな病院はどこですか?と聞いたら、
他の病院と連絡も取れなく、わからないと。。。
自分の足で捜そうにも、水没で中心部にはどこからも入れず途方にくれたものでした。
結局、母は自力で帰宅して無事でしたが、義母は犠牲になったことが後日判明しました。

あれから3ヶ月。
おっしゃるように、生かされた者が希望を持って前を向いて生きて、
復興していかなきゃですよね(^_^)v
Posted by ミモン at 2011年06月10日 21:12
ミモンさん\(^o^)/

御悔み申し上げます。

ブロガーの方々の中にも、
親類を亡くされた方も多いと聞きます。

あの状況で「助かった」事が不思議だと言われる方もいます。

私自身、
津波を直接見たワケでも、
その中を泳いだワケでもありませんが、
直後の惨状を目の当たりにして、
もしも自分だったら…
と考える事もしばしばです。

>他の病院と連絡も取れなく〜
今後の防災の在り方も考えていかなければなりませんね。

起こる前の防災、
起こった後の防災。

今、
地元の有志グループに交ぜて頂いて、
街の復興計画に微力ながら関わっているところです。

もう、十分立ち止まりましたから、
そろそろ歩き出そうかと(笑)

あ、
歩くと言えば、
ミモンさんが昔飲み歩いた立町界隈、
S6を含めて未だ再開している店舗は少ないですが、
飲みに来ることがあれば誘って下さい。
無職なので、週末もオッケーですよぉ(爆)
Posted by ちん婆 at 2011年06月10日 23:27
こんにちはw

あの日、メールで届きました!って
いただいた直後でしたね。
あれから3ヶ月、こちらもそうですが
石巻も見事なビフォーアフター!
素晴らしいマンパワー、素敵です!

あ、まだ未定ですが近々GPS担いで
うちの社員が石巻にお邪魔します。
私はメンバーからはずれてますが
隙あらば作業車に乗り込もうかと( ̄▽ ̄)ニヤリ
Posted by wishwish at 2011年06月11日 09:04
wishさん\(^o^)/

>いただいた直後で〜
メール送った後、五分とかそこらでしたよね
なんだか懐かしい感じです。

>素晴らしいマンパワ〜
ホントそう思います。
あれだけの泥や瓦礫をあそこまで片付けられるって、
人力のなせる技ですよ

まだ全体となると時間は掛かりそうですが、
塵も積もればですから、
出来る範囲で出来る事をしていきたいです

>GPS担いで〜
是非、密航して来て下さいっ!

この間、DEMなるレーザー測量図を見ました。
市街区の沈降度合いが分かりやすく描かれてまして、ヤバイなぁ…と

私の住む地区は、
胴長を履くまではいってませんが、
日々の脅威になってます

八戸のケーソンも酷そうですから、
時間は掛かりますね
Posted by ちん婆 at 2011年06月11日 12:06
読み返して思い出しましたが・・・あの時は変な時間に電話したんでしたねぇ。
「はぁはぁ」言いながら「止血がどうとか」言ってましたっけ。

お母さんが亡くなった事は本当に残念です。


学校(出張)から帰ってすぐで、勤務明けて昼寝中の地震。
変な目覚ましが鳴るもんだなぁと思いましたよ。

えっ、そこから話と長い?
ん~、じゃあまたゆっくり話しましょうね。
Posted by せのきん at 2011年06月11日 20:14
ガンバレ石巻


業務連絡
移転した大王で作戦会議しますよ~
連絡します
Posted by jun at 2011年06月12日 00:00
せのきんさん\(^o^)/

>読み返して〜
そうです、そうです!
ホント、道具をやっと救出して、
安堵していた所にあの電話ですから、
タイムリーでした(笑)
同時に、
「おっ、電話繋がるじゃん♪」
って思いましたもん
でも、
あの後はメールしか出来なかったから、
なんて言うか、不思議でしたねぇ


>そこから話すと長い?
にしても、
大船渡での安否確認、ありがとうございました
あの時も「はぁはぁ」して…

あ、後でゆっくり…(笑)
Posted by ちん婆 at 2011年06月12日 01:03
junさん\(^o^)/

人には見えない所で頑張ってますっ(爆)

>移転した大王で作戦会議〜
日曜日は止めましょうね
あそこ、
超混んでますから…

出来れば平日でお願いします
ん?
出前も再開してるのかな?(笑)
Posted by ちん婆 at 2011年06月12日 01:10
こんばんは。

まずはお悔やみ申し上げます。

壮絶な時間を過ごされたんですね。

なんか言葉も出ませんが、
こうやって、前を向いて歩いているちん婆さんにエールを送りたいです。

また一緒にキャンプしたいっすね。
ちん婆さんのドリングボトル、まだ大事に持ってますよ。
Posted by ユキヲユキヲ at 2011年06月12日 21:24
ユキヲさん\(^o^)/

ありがとうございます。

>壮絶な時間を〜
あの時は無我夢中でしたが、
落ち着いてきて、
周りの話を聞くと被災者の数だけ様々なドラマがあったんだなと。
ただ、
体験の共有は出来ますが、
やはりそこに留まる訳にはいかなと同時に思うワケですf(^_^;

>ちん婆さんのドリングボトル〜
あっ、
あれも流されて泥まみれに…
発見した時は、
滋養をつけるためにフツーに飲みましたケドね(笑)
非常時にも役に立つドリンクですよっ(爆)
Posted by ちん婆 at 2011年06月13日 05:46
あの日と夜と、その後数日に、これだけ壮絶なドラマがあったんですね。
ちん婆さんのところでこれだけのことが。
それを「ラッキー」と言ってのけるちん婆さん。
はたして「アンラッキー」だった人々の壮絶さとは一体…
今、思っても空恐ろしくなるばかり。

それにしても、ちん婆さんとハニーさん、宇宙人ちゃん達が無事だったのはうれしい。
いや、無事というワケじゃなかったんですね。
あらためて、何か出来ることをと感じてます。

コメント遅くなってごめんなさい。
PCが起動しなくなり、携帯では途中までしか読めなかった。
でもこの記事には、コメントを残したかった。
やっと新しいPCを手に入れて、あらためて読み返した次第です。
Posted by 餅餅 at 2011年07月07日 22:56
餅 さん(^^)/

コメントを残してくれてありがとうございます(笑)

あの日に限らず、
世の中は紙一重で状況が変わりますよ。
川旅もコースの選択次第で窮地に追い込まれますしね...(汗)
なんて、
最近そんな事を考えていました。

新しいPC...
私も津波でやられたんで新調しました。
新しいって素敵♪
性能が格段にUPしてますからある意味買い替え時だったのかも知れませんねぇ w

常日頃のバックアップは忘れずに...(爆)
Posted by ちん婆 at 2011年07月08日 07:17
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