関山隧道を語る前に、
関山峠(旧道)の話を少々...(笑)
※隧道(ずいどう)とはトンネルの古い言い回しで、
戦後からはあまり使われない。
山形と宮城を結ぶ交易の要所として、
古くから( 鎌倉時代初期!)開かれていた峠道の1つに、
今回の
関山峠(地図にリンク)があります。
ちなみに他の二つは、
山形と川崎を結ぶ笹谷峠、山寺と秋保を結ぶ二口峠。
旧道よりさらに北側、尾根伝いにある古道の関山峠は、
他の二つの峠よりも標高が低い割に道筋が険路で高低差が激しく、
馬も通れない(登れない)程の"嶺渡り""峰渡り"(諸説あり)と恐れられていたため、
殆ど利用される事のない峠道だったようです。
↑赤い線が関山峠の古道の道筋
そんな険路に転機が訪れたのは明治9年(1876年)8月。
初代山形県令(知事)に就任した、
イカれた役人
三島通庸(みしまみちつね)こと"ミッチー"の登場によって、
新道の建設が本格化する事になります。
(
関山に限らず山形県内各所主要道路がね♪)
歴史を紐解けば、
宮城県の塩竈〜横浜の海上航路との連絡を踏まえ、
(陸路での)今後の東北開発の拠点になると考えたミッチーは、
酒田港や新潟港〜山形中央部〜塩竈港(
野蒜築港)とを連動させるため、
両者を最短距離でつなぐこの道に着目し、開発をすすめたそうな。
プチトリビアとして、麻生太郎氏はミッチーの一族だそうです。
つまり、吉田茂の雪子夫人がミッチーの孫娘...
まぁ、繋がっているって事で (笑)
明治13年(1880年)に着工した関山隧道を含む関山峠の開削工事は、
2年後の明治15年に数十名の犠牲者を出しながらも竣工。
「こりゃ〜便利になった!」と言う事で、
一躍、仙台〜山形の物流や旅客主要道路として活躍する事になりました。
隧道口や峠道には茶屋や旅籠が軒を並べ繁栄したといいます。
↓の絵は、
ミッチーが洋画家・高橋由一に依頼し、自らの業績を後世に残そうと描かせたもの。
東西の隧道口に茶屋らしき建物がありますねぇ
(北村山郡関山村ヨリ宮城県下黒川郡作並村ニ通スル隧道"東口"ノ図)
(北村山郡関山村ヨリ宮城県下黒川郡作並村ニ通スル隧道"西口"ノ図)
記録によれば、
ある日の1日の交通量は1000人、人力車130台、馬車40台。
コレより少し前に開設された万世大路(栗子峠)は130人だったそうですら、
スゲー、フィーバーぶりだったようです。
その代わり、
先の二口峠や笹谷峠は廃れて...
(二口峠に至っては、この時代にして廃道化だって)
が、浮かれていたのもつかの間、
明治38年(1905年)に奥羽本線が全開通。
物流、旅客が馬車中心から鉄道に取って代わり、
利用頻度は激減。
峠は衰退の一途を辿り始めます。
栄えていた茶屋も廃業を余儀なくされたとか
しかし、
昭和初期からモータリゼーションの波がやってくると、
物流が車やトラックに取って代わります。
衰退した峠は息を吹き返す事になり、
それに伴い、
「素掘りの隧道じゃぁ、怖いし、トラックは無理じゃん」
と、非難囂々。
当時は1トン車以上の車(トラック)は通れなかったみたい...
それじゃあ、
大型車が通行出来るようにと昭和12年(1937年)に隧道を含む大改修が施されます。
(
本邦道路隧道要覧(昭和16年3月 内務省発行)より抜粋)
(恐らくは宮城側の坑口だと思われ)
現在残っている関山隧道はその時に改修された姿なんですね〜♡
で、
調子に乗って w 昭和28年(1953年)には国道48号線に指定され、
昭和38年(1963年:ケネディが暗殺された年)には一級国道に昇格したそうです。
高度経済成長期の波に乗って、更なる発展を遂げると思いきや...
道が明治時代のスペック(道路線形)のため、
きついカーブや急勾配が多く事故が多発!
特に、
宮城側坑口先の急カーブで転落事故が多かったそうな(汗)
そんな要因もあってか、
この頃から幽霊の目撃談が出始めたそうで、
ネットで「関山隧道」「関山峠」等を検索すれば、
まぁ、出てくる事、出てくる事...
有名な話は分かりますが、
正直ウンザリするくらい話題になっています(汗)
その後も事故や落石、雪による通行止めを繰り返し、
交通量の増加に対応しきれなくなった関山峠は、
新しい峠道を欲するようになりました。
結果、
関山隧道より標高64M下に作られた、
現在の国道48号線を形成する関山トンネルは、
新道として昭和43年(1968年)に完成しました。
(丸敏建設株式会社 思いでアルバムより抜粋)
その後、
関山トンネルは山形と宮城を結ぶ重要な路線に進化、
今現在でも、
より直線的な線形にと、道路が改良され続けています。
(wikiからのパクリ)
その裏で、
事故が少なくなったと嘆く悪魔のような救急隊の方もいらっしゃいますが...(爆)
と、まぁ、
ちょっとのつもりが長々と語りすぎてしまいましたね(汗)
道の歴史的背景が分かってから赴くと、
ただ行ってみるよりは、
よりスパイスの利いた散策になりますから、ご愛嬌って事で
で、
いつ登り始めるのかって?
.......。
な、な、長くなったので小分けにします w
次回、「ちん婆、太もものこむら返りに恐怖する!」の巻
興味が湧いて来たらまた遊びに来て下さい〜(笑)
※その2に移動するは
コチラからドーゾ ^^
※その3に移動するは
コチラ
※参考資料
東北の街道 いまむかし
宮城の峠
宮城県史
宮城県辞典
山形大学附属博物館
廃道をゆく1
廃道をゆく2
本邦道路隧道要覧
夏草探検隊 様
何とか庵 様
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