関山隧道 山形側坑口 その2

ちん婆

2010年11月23日 06:35

前回は峠の説明だけで終わってしまいましたね(汗)

今回は、

山形側、東根から旧48号線(関山街道)を登り始めます

旧国道と言えども廃道化は著しいと、

事前の調査(ネットや書物)で見聞きしていましたが、

山形側東根ルートは、

"とある事情"で最低限の整備がされているため、

登りやすいとの情報を得ていました。

軽4WDならそのまま隧道まで登れるとも...w


東根と言えば、

こんな凛々しい看板もありましたねぇ(汗)



そんな訳で、

登り始めたい方、

↓”続きを読む”からドーゾ




え?

ですか...そーですか...

で、では、

念には念を入れて、熊鈴も用意しましょうw


ん?



2個??


今回は、

助手として、

アルバイターのY樫君を半ば強引に連れてきました

(山形県酒田出身の元甲子園球児です v )

上司の権限を最大限に利用して、

「楽しいよ〜♪」

などと、何ら根拠の無い誘い文句で上手く誤摩化します

恐らく社交辞令で言ってしまったであろう「いいですねぇ」と言う返事...

まさかあんな事になるとは...



さて、

時刻は早朝6時。

この季節、

辺りはまだ不安になるくらい真っ暗です。

って、写真はありませんが(汗)

日が昇るまで、

作並のパーキングでアタックの準備を整えましょう。

宮城側と山形側の登り口の座標を予め地形図から抜き出していたので、

入力するも...

我が愛車のバカナビは全く見当はずれな場所をさしています

5年も更新しないとこうなるのかな?

仕方がないので、

カンと経験で位置を割り出し、登録しましたが、

さて、どーなる事やら...



まず向かうは宮城側の登り口です。

それらしい路側帯があったので停車。


油断していると見逃してしまいそうな場所に入り口はありました。


この朽ち果てた名も無き橋が入り口です。

現道の48号線からこの角度でヘアピンカーブがあったとすれば、

かなり強引な線形ですねぇ

橋の路盤に残るはアスファルトのような痕跡か?


旧道の先には、先人の足跡が...(登って行ったばっかり?まだ新しい足跡)


橋を渡り左に目をやると、

旧道時代に事故でなくなった大学生を鎮魂するため、

遺族と関係者が建てた慰霊碑があります。


手を合わせて、

旅の無事を祈りましょう。


ここから更に下流側に、

隧道開削の際に爆発事故で亡くなった方々の慰霊碑が、

江戸時代の番所跡と共にあるようですが、

今回は見付ける事が出来ませんでした。

来春に宮城側の攻略に行く計画を早くもたてましたので、

その時は見付けたいものです。(←誘ってる?w)



現道の関山トンネルを越え、

(何撮ってんの?)

いざ、山形県へ!

途中、

左手の谷にあやしい橋を見付けたのですが、

あれ、何だったのでしょう?(ココ)



地形図には描かれていない道でしたから、

スゲー、気になりますねぇ ニヤリ



山形側、

旧道の分岐に来ました。

(写真左方向が東根)

少し進んで行くと、


あれ?


「ハチマキィ〜、橋(線路)が無ぇぞぉ〜!!」
(このセリフを知ってる人、かなりの大友ファンね ^^;)


この場所には萱倉沢橋という橋があったそうです。

現在は撤去されて、左に暗渠のような構造物の上に国道が通っています。



旧道を登り始めると、


見えてくるのが永昌橋。


ここが峠の入り口になりますね。

ちなみに、

前回紹介した高橋由一はこの場所でも絵を描いています。
(絵にある橋が"永昌橋")

(北村山郡関山村新道ノ内字小屋ノ原ヨリ関山隧道ヲ望ム図)


当初の目論みでは、

このまま車で行ける所まで行こうと思っていましたが、

何を思ったのかY樫君、

「歩いて登れば、いろいろ発見出来るかもしれないですよね?」

なんて言い出すものですから、

「そ、そうだよねぇ」

と答えるしかありませんでした。


そんな訳で、

こ、このまま歩いて登る事にします



ほぼ直線の登りが1.5km程続きます。

(国土地理院1/25000の地形図では、実線で描かれている部分)

この先、

破線部分の大きな九十九折を三度越えると、

目的地の関山隧道にたどり着けるはず。





この時、
私はある事に怯えていました。
普段から引きこもっている私は、完全なる運動不足を自負しています。
(自慢か?)

チョットした運動で"太もも"がこむら返りをおこしてしまうのです。
"ふくらはぎ"なら皆さんも経験はあるでしょう。
対処法も簡単です。

が、

私の場合は太もも!!

正確な場所を言えば大腿部の大腿四頭筋群。

ハッキリ言ってこれ、最悪です
いい大人が真夜中に顔面蒼白で悶絶する痛みです。
対処法なんて知りません。

太ももって、どーやって伸ばしたらいいのぉぉぉぉぉ (><)

そんな感じで過去数回、この悪夢に見舞われました。

で、

いつもヤラレているばかりなので、
今回は強力な助っ人にオファーしてみます。

紹介しましょう↓

彼の名は、


コムレケア

毎度おなじみ、あやしい小林さん所の製品ですが、
薬局の話では、

運動する前に飲んで予防が出来る!ホントか!?w

実際、
コレのおかげで悪夢に見舞われる事無く、
現在も過ごせております。

小林さん、アザッッス!



話を戻しましょうか(汗)

完成から128年、廃道となってから約40年。

未だ山側の路肩の石垣は所々に現存していました。


谷側の路肩にはガードレールも現れましたよ〜(萌)

(木がガードレールを喰ってる...)



↑の写真の手前に大きな石が転がっていますが、

これはここ↓から落ちて来たもの...


場所によっては、

ごっそりと崩れ落ちて...いますよね!?


毎年繰り返される積雪、そして凍結と融解によって、

確実に崩壊は進んでいるようでした。


にしても、

紅葉がきれいだなぁ ^^


もう少し早い時期に来れていたら、

もっとスゴイ光景だったでしょうね〜


直線もそろそろ終わりを告げる頃、

前方に人工物が現れて来ましたよ。


ん?

なんと路盤がごっそりと...抜け落ちてる


谷側の石垣だけが残って、


内側がスカスカ...

でも、
石垣の裏側ってこんなんなんだぁ、と、興味深いですね(笑)

この場所、

谷から流れ落ちる水を流す排水溝が埋まっていたんですが、

恐らく長年の水漏れで、

少しずつ路盤下の土が流されていったんでしょう。



おっ!

今度はレアな物体が出現しましたよ〜


分かります?

旧道時代の標識ですねっ!


ネットの情報では見かけなかったモノなので、

オイラがお初?w

こんなに土砂に埋まってましたからねぇ...


付近を探していると、

旧道、それも初期に設置されたであろうガードレールの"元"を発見。






いつの時代のものでしょう?

明治の頃のモノならちょっと嬉しいですよね?(←えっ!? 誰に言ってんの?w)



落ち葉がふかふかで歩き易い道です。


この先の九十九折カーブには、

落石防止のフェンスが今でも頑張っていました。


頑張りきれなかったフェンスも...



美しい石垣のカーブが続きます。



ん?

路側帯の跡?


間もなく隧道に着くはずですがね...

まだ見えません(疲)


あやしげなワイヤーがあったりして...


コイツの相方でしょうか?




Y樫君が何か見付けました!


Y「ナンスか、アレ?」

俺「さ、索道...?」

なにやら"滑車"のようなものが見て取れますし、


ワイヤーの先は反対側の谷まで延びています。


なんだろね?(爆)

もっと詮索しようと思いましたが、
疲れてきたので正直どーでも良くなってしまいました。

「帰ったらネットで探してみるよ」

なんて、Y樫君に言いましたが、
結局わからずじまい...
誰か知ってたら教えて下さい m(_ _)m



そんなかんなで、

隧道到着〜♡(って、やっとかよ)

ここまで読んでくれて、ありがとうございました(笑)

アレです↓








Y樫君も嬉しそうではありませんか!

う〜ん、





充  実  感  !





でも...



なんか入れないっぽい?w






な、なんかまた長くなっちゃったので、

詳細は次回に持ち越しですっ



次回、
関山隧道、山形側も塞がれているじゃんよ!どーすんの!?の巻。

お楽しみに ^^




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