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2010年11月20日

関山隧道 山形側坑口 その1

2週続けての山形遠征。

今回はかねてから訪れてみたかった、

宮城県と山形県の県境に位置する峠=関山峠を抜けるトンネルに行って来ました。

トンネルと言っても現道(国道48号線)の関山トンネルではなく、

そこから70Mほど上にある旧道の関山隧道です。
関山隧道 山形側坑口 その1
(写真は山形側旧道の入り口)


"廃"な物件に興味のある方、

↓"続きを読む"からドーゾ ニコニコ

あ、
心霊とか怪奇現象とかそんな記事じゃないよパー


関山隧道を語る前に、

関山峠(旧道)の話を少々...(笑)

※隧道(ずいどう)とはトンネルの古い言い回しで、
戦後からはあまり使われない。



山形と宮城を結ぶ交易の要所として、
古くから( 鎌倉時代初期!)開かれていた峠道の1つに、
今回の関山峠(地図にリンク)があります。

ちなみに他の二つは、
山形と川崎を結ぶ笹谷峠、山寺と秋保を結ぶ二口峠。

旧道よりさらに北側、尾根伝いにある古道の関山峠は、
他の二つの峠よりも標高が低い割に道筋が険路で高低差が激しく、
馬も通れない(登れない)程の"嶺渡り""峰渡り"(諸説あり)と恐れられていたため、
殆ど利用される事のない峠道だったようです。
関山隧道 山形側坑口 その1
↑赤い線が関山峠の古道の道筋

そんな険路に転機が訪れたのは明治9年(1876年)8月。

初代山形県令(知事)に就任した、
イカれた役人三島通庸(みしまみちつね)こと"ミッチー"の登場によって、
新道の建設が本格化する事になります。
(関山に限らず山形県内各所主要道路がね♪)

歴史を紐解けば、
宮城県の塩竈〜横浜の海上航路との連絡を踏まえ、
(陸路での)今後の東北開発の拠点になると考えたミッチーは、
酒田港や新潟港〜山形中央部〜塩竈港(野蒜築港)とを連動させるため、
両者を最短距離でつなぐこの道に着目し、開発をすすめたそうな。

プチトリビアとして、麻生太郎氏はミッチーの一族だそうです。
つまり、吉田茂の雪子夫人がミッチーの孫娘...
まぁ、繋がっているって事で (笑)


明治13年(1880年)に着工した関山隧道を含む関山峠の開削工事は、
2年後の明治15年に数十名の犠牲者を出しながらも竣工。

「こりゃ〜便利になった!」と言う事で、
一躍、仙台〜山形の物流や旅客主要道路として活躍する事になりました。
隧道口や峠道には茶屋や旅籠が軒を並べ繁栄したといいます。

↓の絵は、
ミッチーが洋画家・高橋由一に依頼し、自らの業績を後世に残そうと描かせたもの。
東西の隧道口に茶屋らしき建物がありますねぇ
関山隧道 山形側坑口 その1
(北村山郡関山村ヨリ宮城県下黒川郡作並村ニ通スル隧道"東口"ノ図)

関山隧道 山形側坑口 その1
(北村山郡関山村ヨリ宮城県下黒川郡作並村ニ通スル隧道"西口"ノ図)

記録によれば、
ある日の1日の交通量は1000人、人力車130台、馬車40台。
コレより少し前に開設された万世大路(栗子峠)は130人だったそうですら、
スゲー、フィーバーぶりだったようです。
その代わり、
先の二口峠や笹谷峠は廃れて...
(二口峠に至っては、この時代にして廃道化だって汗)

が、浮かれていたのもつかの間、

明治38年(1905年)に奥羽本線が全開通。
物流、旅客が馬車中心から鉄道に取って代わり、
利用頻度は激減。
峠は衰退の一途を辿り始めます。
栄えていた茶屋も廃業を余儀なくされたとかダウン

しかし、

昭和初期からモータリゼーションの波がやってくると、
物流が車やトラックに取って代わります。
衰退した峠は息を吹き返す事になり、
それに伴い、
「素掘りの隧道じゃぁ、怖いし、トラックは無理じゃん怒

と、非難囂々。

当時は1トン車以上の車(トラック)は通れなかったみたい...
それじゃあ、
大型車が通行出来るようにと昭和12年(1937年)に隧道を含む大改修が施されます。
関山隧道 山形側坑口 その1
(本邦道路隧道要覧(昭和16年3月 内務省発行)より抜粋)
(恐らくは宮城側の坑口だと思われ)

現在残っている関山隧道はその時に改修された姿なんですね〜♡

で、
調子に乗って w 昭和28年(1953年)には国道48号線に指定され、
昭和38年(1963年:ケネディが暗殺された年)には一級国道に昇格したそうです。
高度経済成長期の波に乗って、更なる発展を遂げると思いきや...

道が明治時代のスペック(道路線形)のため、
きついカーブや急勾配が多く事故が多発!
特に、
宮城側坑口先の急カーブで転落事故が多かったそうな(汗)

そんな要因もあってか、
この頃から幽霊の目撃談が出始めたそうで、
ネットで「関山隧道」「関山峠」等を検索すれば、
まぁ、出てくる事、出てくる事...
有名な話は分かりますが、
正直ウンザリするくらい話題になっています(汗)

その後も事故や落石、雪による通行止めを繰り返し、
交通量の増加に対応しきれなくなった関山峠は、
新しい峠道を欲するようになりました。

結果、
関山隧道より標高64M下に作られた、
現在の国道48号線を形成する関山トンネルは、
新道として昭和43年(1968年)に完成しました。
関山隧道 山形側坑口 その1
(丸敏建設株式会社 思いでアルバムより抜粋)

その後、
関山トンネルは山形と宮城を結ぶ重要な路線に進化、
今現在でも、
より直線的な線形にと、道路が改良され続けています。
関山隧道 山形側坑口 その1
(wikiからのパクリ汗)

その裏で、
事故が少なくなったと嘆く悪魔のような救急隊の方もいらっしゃいますが...(爆)



と、まぁ、

ちょっとのつもりが長々と語りすぎてしまいましたね(汗)

道の歴史的背景が分かってから赴くと、

ただ行ってみるよりは、

よりスパイスの利いた散策になりますから、ご愛嬌って事でパーキラキラ


で、
いつ登り始めるのかって?

.......。

な、な、長くなったので小分けにします w



次回、「ちん婆、太もものこむら返りに恐怖する!」の巻


興味が湧いて来たらまた遊びに来て下さい〜パーキラキラ(笑)

※その2に移動するはコチラからドーゾ ^^
※その3に移動するはコチラ

※参考資料
東北の街道 いまむかし
宮城の峠
宮城県史
宮城県辞典
山形大学附属博物館
廃道をゆく1
廃道をゆく2
本邦道路隧道要覧

夏草探検隊 様
何とか庵 様











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コメントはこちら 過去記事歓迎!
おはよーございます^^

勉強になりました^^

非常に興味が沸きました

でも やっぱりちょっと怖い気が(;´Д`)
Posted by simojisimoji at 2010年11月20日 05:42
おはようございます(´・ω・`)ノ
路線一つ一つに歴史があって
掘り下げると面白いですね~φ(・ω・ )かきかき

掘削技術も未発達な当時
ミッチーの発想は奇想天外だったんでしょうねw
先見の明に長けたミッチーカッコいいです(≧ω≦)b
Posted by wish at 2010年11月20日 06:56
オハヨウゴザイマス・・・

久しぶりに真面目に記事書いてません??(爆)

続きも期待してますよ~♪
Posted by マンボウ男マンボウ男 at 2010年11月20日 07:00
今の国道も私が働き始めた頃はまだクネクネ道で…
それこそ、冬は毎日のように事故で出動かかってましたよ


それにしても、しっかり調べあげてきましたねぇ。
さすがは“廃マニア”ですな


その差、1400まで縮んだアクセス数も…また開きそうな予感がしますね
Posted by せのきん at 2010年11月20日 08:02
時刻表 好き
それが、高じ、

理系志望なれど、歴史、地理の思い止まず。
高校選択科目 地理 私のみ の為

無理やり志望校変更された 悲哀の青春を過ごした者です (TT)

自転車走破を目指し、あの急カーブで死にそうに成ったのは遠い思ひ出。。
又行きたくなりました。。。
Posted by WindyJv at 2010年11月20日 08:57
詳しい説明に見入ってしまいました。

次回、「小室帰りに・・・・」期待します。(笑)

あれっ???違った(汗)
Posted by ばーばー at 2010年11月20日 12:19
simojiさん\(^o^)/

ご無沙汰してますっ

>非常に興味が沸きました〜
ニヤリ( ̄ー ̄)ニヤリ
simojiさんなら、
嶺渡りを走破出来ますよ!
え?
旧道じゃなく、そこ!?(笑)
宮城側からの探索もしたいんですけど、
たぶん来春になりそうですねぇ
かなり荒れているそうなので、
ワタシの足でたどりつけるかどうか…(汗)

>でも やっぱりちょっと怖い気が(;´Д`)

幽霊騒ぎが過熱して、
昭和39年あたりに「幽霊出没注意」なる看板を、
仙台市が設置したとかしないとか

幽霊…
信じてませんが、
1人で行く勇気はさすがにアリマセンね(滝汗)
Posted by ちん婆 at 2010年11月20日 14:57
wishさん\(^o^)/

>掘り下げると面白いですね〜
こちらもニヤリ( ̄ー ̄)

wishさんも職業柄、
そんな場所に行くこともあるのでは?
地形図の読み方にも長けているでしょうから、
今度いろいろと教えてください
三角点とかワタシ、ドストライクですからっ!

>ミッチーの発想は奇想天外〜
鬼県令とか、いろいろ言われていますが、
地方の近代化の遅れを懸念して、
信念を貫いた男だったようです。

でも、
マジメゆえに誤解されやすかったのかな?(笑)

>先見の明に〜
事実、ミッチーの基本構想は、
後世に多大なる影響を及ぼしていますからね〜
でもまぁ、
やり過ぎ感はありますけど(爆)
Posted by ちん婆 at 2010年11月20日 16:21
マンボウ男さん\(^o^)/
>久しぶりに真面目に〜
いやぁ、
柄にもなく、図書館通いしてましたよ(汗)
野営出来ない分、
違う方面でストレスを発散させないとっ

>続きも期待してますよ〜
最初に気合いを入れすぎましたからねぇ…
あとは登って帰るだけですので、
この後、どーやって話を膨らませようかと(爆)
Posted by ちん婆 at 2010年11月20日 16:30
悪魔さ…いや、せのきんさん\(^o^)/

>冬は毎日のように事故で〜
それこそ旧道時代は酷かったでしょうねぇ(汗)
あの道路線形を見たら…
転落したらまず終わりでしょう
谷が深すぎ!!

>しっかり調べあげてきましたねぇ〜
興味のないモノには見向きもしないんですけどねぇ(爆)

今度、
宮城側のアタックに付き合いませんか!?(笑)

>その差、1400まで縮んだ〜
い、いや、ワタシ、チーターなんで、
諦めるのも早いんです
逆に、
早く抜いてもらったほうが…楽なんですケド…(自爆)
Posted by ちん婆 at 2010年11月20日 16:44
Jvさん\(^o^)/

>時刻表 好き
昔、時刻表で遊ぶ本なんてありましたが、
懐かしいですねぇ。

>あの急カーブで死にそうに〜
宮城側の急カーブですか?
地図で見る限り、ヤバそうですもん
しかも、
自転車で走破してたとは!
>又行きたくなりました〜
思いでの峠…
今では、隧道の両側が閉鎖されてしまい、
通り抜ける事は出来なくなってます(泣)

もう少し痩せていればっ!…
あ、
この話しは次回以降で(笑)
Posted by ちん婆 at 2010年11月20日 19:35
ばーばーさん\(^o^)/

>次回、「小室帰りに・・・・」
>あれっ???違った(汗)
はい
字が違います!(爆)

でも、
こむら返りに怯えていたのは事実です(汗)
対策のおかげで、
変な自信が身に付きましたけど… ニヤリ( ̄ー ̄)

廃道シリーズ、
山形にはよい物件が沢山あるので、
またお邪魔します
Posted by ちん婆 at 2010年11月20日 19:49
うむむむ・・・

関山・・・隧道・・・

まだ、中学生の頃、自転車で関山まで登り切り隧道から麓のドライブインまで滑降し・・・・

汗を関山の沢で流し、ドライブインのおでんと流しソーメンで腹を満たし、更に家まで滑降したもんじゃ(笑

ありゃ、Jvさんもここで遊んでたの???^^


ではでは、例の集会で・・・
Posted by 調味料親父(ちいちゃいg) at 2010年11月21日 20:50
調味料親父(ちいちゃいg)さん?…\(^o^)/

やはり、
山形の方にはメジャーな場所なんですね
現役を退いてもなお、愛される場所♪

宮城側の坑口がいつ塞がれたのかは、
いまもって分かりませんが、
通り抜けてみたかったですよ!

>Jvさんもここで遊んでたの〜
あの方も、
いろいろやってますねぇ(笑)

>ではでは、例の集会で〜
そう言えば、
「馬」での凍人亭、ニアミスでしたっ!
例の集会前に暖簾をくぐりたいものです
Posted by ちん婆 at 2010年11月21日 22:15
 何気なく検索して拝読させて頂きました。大変良くリポートされました。

 私は昭和38年式のクラウンに乗っていますが新車で当家が購入して10年間廃車した後再登録して今も乗っていますが、この車で関山隋道を走った事あります。オッサンが生まれた頃はもうこの道は廃道でした。

 大変な難路であっただろうが、其の上を行くのが栗子隋道でした。恐らくロー、セカンドでしか走れなかった事でしょう。

 さてこのオッサンの祖母は90歳で、ピンピンしていますが祖母は元小学校教員で昭和39年8月に祖母が当時勤務していた先の児童が母親と共にこの峠で事故死しました。祖母は元々記憶力は良くないのもあり当時の経緯は殆ど忘れたとの事ですが関山の年配者から詳しく聞く事ができました。

 仙台から帰るある晩運転を誤り60メートル下の崖下に転落し車は大破したとの話でした。当時はシトシト雨が降っていたと云います。其の時祖母が当時勤務していた学校の児童と割り出しが出来ました。その母子が幽霊となって居るらしいです。

 
 
Posted by 地元のオッサン at 2010年11月29日 09:38
地元のオッサンさん\(^o^)/


コメントありがとうございます。

また、
地元の方にお誉め頂き、恐縮です。

>其の上を行くのが栗子隋道〜
東北の廃道好きにとって、栗子峠はある意味聖地ですから、
いつかは行ってみたい場所ではありますね。
隧道こそ内部で閉塞していますが、
あの場所もまた、
近代化産業遺産の指定を受けていますから、
フタをされる前に早く行かなくちゃ…と(笑)

>母子の幽霊〜
関山のこの話の発端になった事故ですね。
その土地の歴史を知っているお祖母さんを初め、
関山の年配者さんの記憶は貴重ですね。

当方、来春に宮城側の探索を計画していますので、
その際に事故の記録など、
出来る限り調べてみたいと思っています。

まとまったら、
こちらで記事にしますので、
お時間があればまた覗きに来てみて下さい。
Posted by ちん婆 at 2010年11月29日 21:27
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